日本語と英語(子供の風景‐5)

 そのことば 日本語で言ってごらん えんぴつが2ほん、3ぼん Sはどこなの?

 そのことば 日本語で言ってごらん ママは今 電話に乗ってる いそがしいんだよ

 

 大卒後里心もあって地元に戻って高校で教えていたので、週1回のことでもNYでも補習校で教壇に立てることは魅力があった。父母会の当番で毎週子供たちの面倒を見に通うより教える側の方が良いかな、という誠に自分勝手な理由を見つけて補習校教員の公募に応募した。自分の子供がクラスに回ってくるのは困るので、次男が小1になった時に幼児部の受け持ちへ滑り込んだ。その昔、幼稚園の先生にあこがれて、大学進学の折、幼児教育では日本一と言われる国立を第1志望に挙げたが、思いがけない経過でテニスに流れてしまったことも今は昔である。

当時補習校の幼児部には小学校のようなカリキュラムは特になく、取り上げる教材は学校ごとの受け持ちにまかされていた。時の幼児部教師には専門家も居られ、ある年度に話合いで毎週やっている内容を持ち寄って年間カリキュラムを作成しようとの試みが行われた。NYに7‐8校あったと思うが毎月1回全校の授業内容を持ち寄って年間カリキュラムを整理・作成した。1年間良く続いたと思う。

公立の幼稚園副園長をしていた叔母からも助言を貰って、外国で育つ幼児部年齢の子供に必要と思われる教材を「日本語を使う」「自分と家族や社会」「四季の移り変わり」「日本の折々の行事」に柱をしぼって何とか年間カリキュラムをまとめあげた。ワープロもない時代で、字のきれいな年配の先生を口説き落として、同じ手で1冊に仕上げ、コピーを持ち合った。せっかく作ったのだから、と他州の補習校にも紹介したりして、やり遂げた満足感に鼻が高かった記憶がある。

幼児部をクリアして次に4年生を担当した。 

ある日の教材に「こそあど言葉」が出てきた。                        「みんな、もう英語でやったでしょ?マーカーみたいなもの」・・反応なし、キョトンとしている! 「ああ あれか!」という気配も殆どなし。(あれっ、まだやってないのかな?」

そうしたある日、中1になって理科が始まった長男が教科書を持ってきて「これ、どういうこと?」と聞く。氷が水になり水蒸気になる個体液体気体の変化なので、ちょっと英語を混ぜながら説明しかけたら、「ああ、あれか、わかった、この間こっちの学校でやった、もういい」と行ってしまった。こんなことから、子供たちは英語と日本語を全く別のことととらえて両方が同じことを言っている、とはわかっていないのではないか、という感じが残った。それが、ある時期に何となく即座にわかる時がくるらしい。子供によってその時期は多少違うが早ければ4年生、ほとんどは5-6年生のESL組(外国人のための英語教育)に起きるあああれか・・だろう。そうすると英語、日本語どちらもぐっと理解の速度があがるようである。その頃から物をどちらの言葉で考えるかがはっきりしてくるとようだ。駐在に子供を同行した親は子供の英語がどの段階に居るのかよく観察して成長に応じた対策を考えなくてはならない。

我が家では小4で来た長女は高校卒業まで日本語の方が速く、エッセイや読後感などは日本語で本を読み、考え、英語に訳していたようである。5・6歳で来た下の二人は、早早英語界に入りこみ、英語で考えては知る限りの日本語に変えて口に出すので冒頭の状況が日常になる。電話は乗っかるもの(on the phone)で忙しい(Busy)、パパを駅に取りに行く、等々。主人が「パパを取りに行く、とは何事だ!」とどなるがPick-upはPick-upじゃない?と援護に回らなければ子供が可哀そうである。

こういう時期にもう一つ忘れてならないことは、子供の成長は特に低年齢期は想像以上に速いものだ。その時期に成長に必要な知識の養成を怠らない努力が必要だということかと思う。アメリカに来た当初、英語に慣れるまで…と補習校への入学を避けることは子供の成長を一時止めることになってしまう(と研究者が強調している)。ESLでの英語習得は子供が幼児期にやっと言葉を覚え始める最初から始まるからである。何語であってもかまわないから年齢相当の教育レベルを維持すべき、と。脳の成長に空白を作らない工夫が必要、ということだと解釈している。英語圏に連れてこられた子供たちが、年齢相当の知識を英語から受けられるようになる、つまりバイリンガルとまでいかなくてもESLから抜け出して、英語の授業で皆と変わりなく普通に学習できるようになるのに最低でも2年から3年かかると思っている。日本でトップ10%に居た子供がこちらでもトップ10%に入れるようになることが目標であろう。しかし、そこまで当地に居られる駐在組は余りいない。