Aスクールの話           アメリカの教育雑感(3)

 アメリカの教育で日本とちがうなあ、と感じられる一番の点は、「能力重視」ではないだろうか。能力に応じた教育を受ける権利があるという理念で、例え出来が悪くても基本的に押し上げても引っ張り上げてもくれないで、少しでも上達すればハッピーだ、という精神のように思う。

「どこ構わず大声で日本語を話す」「固まって現地に溶け込まない」など色々批判はされたが、日本からの駐在者が安全で子供の教育環境が良く通勤に便利なNY郊外の街街に居を定めると、どうしても評判の良い地区に偏ってしまう。そこで住まいを確保した後子供を学区の公立へ連れて行くと、まず、英語をなんとかしなくてはならない。世界中から移民を受け入れるアメリカならではの待遇で、ほとんどの学校に規模はまちまちではあるが外国人のための英語クラスが設けられている。

 学校によってスタートの切り方は色々と思うが、私が経験したところは学年の違いに関わらず、皆一斉にレベル1からスタートし、テストに受かれば次のレベルに進む、というやり方で初歩の英語に取り組むことになっていた。従って、その子の言葉への適応力や勘も含めて、進み具合によっては兄弟の下の子が先へ進んで早早普通のクラスに進むのに上はぐずぐず・もたもたという場合もある。アメリカ到着第1歩から「能力次第」の洗礼を受けるわけだ。

 能力重視、という点でさすが、と思われたシステムに「Aスクール」があった。大抵の高校には設けられていて、特に音楽学校など特殊の分野へ進む生徒には絶対必要な練習時間を確保できるありがたいシステムである。つまり、必修科目が柔軟で、難しく時間がかかる理数科などは最低限にカットを許可され、従って一般の宿題に悩まされることなく充分楽器に向い合う時間が出来るわけである。一部には「嫌な学科や不得手の学科から逃げているのでは?」と陰口をたたかれる輩も含まれているようで、首をかしげるメンバーも居ると聞いたが、ジュリアードなどへの進学組は毎日6時間以上の練習が必須と言われるので、自他ともに認めて精進できる。娘の友達は、娘に言わせれば「彼女は学年で一番頭が良い」けれど、ジュリアードを目指し、通っているプレスクールは毎週土曜日、40度の熱以外は絶対休めないそうで、学校ではすべての伴奏は辞退し、Aスクールでピアノに専念してジュリアードへ進学した。

 音楽学校を受験した従妹が早退してレッスンに上京する許可を中々高校から貰えなくてべそをかいていたことを思い出し、又同時に当地の音楽教室で、良い先生につくために、毎週レッスンに間に合うよう15分早引けしてはどうかと勧められて、とんでもない、と仰天したことも思い出した。ところ変われば品変わる。ああアメリカよ!